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これ面白いな…と思ったんだけど、 >合理的にものを知るとはどういうことかっていう認識論 これっていわゆる「文系」の考え方(この世界をどう「認識」するか)で、 「人間が気付いてなくても、どう認識していても、自然は変わらず『そこ』にある」 という自然科学とは考え方が違うんだよね…。

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Ken McAlinn@kenmcalinn

統計学の理屈ってなんだろうって考えてる。統計学は「不確実性の下での意思決定」の学問で、合理的にものを知るとはどういうことかっていう認識論の基礎だと思ってるけど、その理屈から正しくないってことは(程度問題だけど)非合理的である(可能性がある)ってことだと思う。

さときち@sato_sato_kichi

みんなのコメント

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自然科学における「仮説」というのは、 「(中の見えない)箱の『中身の予想』」 なので、 持って重さを確かめたり、 振って音を確かめたり、 光やX線で透かしてみたり、などの 「観察(データ)」が最初に立つ…というか、 「(何かしらの)データに基づかない仮説」は「仮説」とは呼ばない気がする。

神山 翼@お茶大・気象学@kohyama_met

自然科学では、データを眺めて仮説を立てるところまでは、Kenさんのいう「これは(このまま発表すれば)HARKing(という状態)。」を必ず通過するわけです。ただし、この後必ず、別の解析やメカニズムの考察でvalidationが入ります。一方、「p-hacking状態」は自然科学を正しく運用する限り通過しません。

さときち@sato_sato_kichi

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自分としては単純に科学的実在論の話をしてるだけだと思っていた(そして現代の自然科学はそれを前提にしている)んだけど、 >認識論と存在論を混同 どの辺なんだろ?

Ken McAlinn@kenmcalinn

数学でも数学を前面にださないと文系に解釈されるってのは面白いと思う(まぁ実際そうだとは思うけど)。 ただツイートの中身は認識論と存在論を混同してると思うから分けたほうがいいと思う。

さときち@sato_sato_kichi

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「仮説の検証」というのは科学の方法論ではあるんだけど、自然科学における仮説の検証というのは、 「それが自然(現実)を可視化できる可能性が高い『から』採用されている」んであって、 「仮説検証」そのものには価値はないというか、 その過程がどうであっても、 「E pur si muove」なのよ。

acim@acim0312

この論争見てて思うのは、統計学はデータのみを用いて仮説を論証するのに対して、自然科学は背景にある物理現象の考察があることが根本的な違いで、自然科学の多くの研究はデータだけからは論理的に飛躍があるが「物理的考察」でそのギャップを埋めて科学的正当性を確保しているということだと思う。

さときち@sato_sato_kichi

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