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の通り観念観法して、病を治したという様な事は、この例である。 現代においても、我々の人間界に十界があるとか、宇宙観が己心に住するとかいう様な、理論的問題を説いていると考えているが、それは、観念論者の意見であって、天台の偉大な哲学に圧倒された考え方である。現在、末法の人々にあっては
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、前記の如き天台の観念観法によって、幸福境涯を受得する事は、到底成し得ない。 文底よりこれを読めば、己心を観ずるというのは、御本尊を信ずる事であり、十法界を見るというのは、妙法を唱える事である。その故は、御本尊を信じて妙法を唱える時には、御本尊の十法界が、即ち己心の十法界となるか