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世界史視点で見ると、マドリードに遷都したのはスペイン=ハプスブルク家のフェリペ2世の時代ですね。彼は絶対王政的な性格があって、他の大きな都市(トレドとかバリャドリードとか)は貴族・教会の息がかかってて嫌だったとか、スペインのド真ん中にあるからとかいう理由で遷都したとされてますね。

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エバンス@evans_escape

みんなのコメント

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先生!!ありがとうございます😭ずっと調べててリプ返遅れました。 遷都までの流れは教えて頂いた通りで、その後の人口流入はフランコ政権の政策で、脱経済危機のために政治的に人を都市部に集めたらしい。フランコ政権下(1936-75)で人口が3倍になっている!画像はWikipedia pic.twitter.com/Nl1hBGd4QT

はぷりーの@hapurieno

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