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サラディンは旧ファーティマ朝軍の解体と自軍の基盤強化を進め、これに反発し武力蜂起した黒人奴隷兵を殲滅。以後エジプトから黒人奴隷兵は消え、マムルークと呼ばれる白人奴隷兵(といってもトルコ系や東欧系)が重要戦力になります。余談ですが彼らは約100年後にシリアであのモンゴルの西進を

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似非 勇者@e_yusya

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食い止めることになります。 1171年にはカリフが後継のいないまま死去しファーティマ朝は滅亡。エジプトを完全に掌握したサラディンですが、ヌールッディーンから野心を疑われるようになり、関係は急速に悪化しました。両者の間に入っていた父アイユーブも1173年に落馬の負傷が原因で死去します。

似非 勇者@e_yusya

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