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南武線、武蔵小杉~第三京浜間で連続立体交差事業が実施されている頃に武蔵中原駅で撮影したものです。 時代は昭和から平成へ、国鉄からJRへと変わる頃でしたが、国鉄末期の南武線は車両の墓場と揶揄されるようにオンボロの車両ばかりでした。 pic.twitter.com/c3wrxsNAfC

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井上幸彦@jArYn6eYu16qqo0

みんなのコメント

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地上時代の中原・新城を走る205系の写真を撮った人がいたら貴重ですね。

しもぬまべ@SSaiwai

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3枚目の高架途上の写真 微かに覚えています。 下り線のみ高架になっていた、時は中原への出入庫どうしていたのか 気になります。

Ko-KeTsu-Bun@bunbunkouketsu

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昭和44年12月から昭和53年10月まで快速列車が走っていた当時、下りは武蔵中原で快速が各停を追い越すか、武蔵溝ノ口で快速が各停と待ち合わせを行っていたが、たまたま稲田堤にあるフルーツパークに各停で行く際、武蔵中原で快速列車が豪快に通過したことを今でも鮮明に覚えている。

Esquierdo Inoue@Nambu2478

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103系は先頭の車両がMc57で、南武線初の103系デビュー時にも使用された車両でした。 写真の編成はMc57 M'157 T767 M93 M'132 T'c608(オレンジ)で、昭和58年7月から翌年7月までの1年間、この組成で使用されていました。

Esquierdo Inoue@Nambu2478

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おんぼろ車輛かぁ😅 千ツヌ・千マリと一緒かも😑👍

ぶさかわハンター@7xzaFX7zFjI9KY2

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当該事業が展開されている中、第2期の川崎市内の南武線連続立体事業予定区間として、第三京浜〜東名高速間で基本調査が実施されており、市政だよりに何度か基本調査の実施に関するお知らせがありましたが、その後については何らかの理由で事業化されることはありませんでした。神奈川新聞にも掲載済。

Esquierdo Inoue@Nambu2478

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高架後の武蔵中原駅は車庫の入出庫の勾配の関係から川崎寄りに約100m移動され、中原街道の上にかかる位置になりました。 また、当該事業は仮線工法によるものですが、仮線の直上に高架構造物が一部あるため、高架後の軌道の高さはGLから約10mちょっとと高くなっています。

Esquierdo Inoue@Nambu2478

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確かに昔の南武線はぼろかった。南武線と交差している私鉄から南武線に乗り換えると落差を感じたものです。今は全然違う。

かずぴょん@PCGqC8IhWN58714

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