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馬上武芸の演武奉納では冒頭に必ず流し旗の騎乗者が出て来る 単なる開会挨拶くらいに思っていたけど、実は騎馬武者の集団を統率する最も重要な役割の武士だったのでは、それが形骸化して現代に続いているのか、と、今更ながら考え込んでいます #石和八幡宮例大祭甲斐駒流鏑馬神 #紅葉台木曽馬牧場 pic.twitter.com/ck5MgUw3Uy

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武図書@take10syo

返信先:@boots_fleck12戦国の陣法でも、軍勢を先導して幟旗を掲げる旗奉行は老練で勇敢、戦術眼が確かな士が選ばれて、全軍がその指し示す進路を進み、旗を護持している勇者を討たせては恥であると後に続くような者を選んだとされるので。 追物射を先導する武者も、そういう役割だったのでは無いかと。

市村弘(梅本弘 または ローガン梅本)@kerpanen

みんなのコメント

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西洋の騎士団でも旗持ちは1番の栄誉だし屈強なベテラン騎士が選ばれていました。きっと日本でも役割は同じなので命懸けの役目だったと思います。

くさもち@kusamoti0114

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相手武将の虫の居所次第では目立つので即狙われますし。 信玄公の百足衆も剛者集団だったみたいですね。

平方歯科@PGZ2mrtGqpuEGd8

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戦国時代、本陣と各部隊との間を行き来し命令を伝達したり、味方を鼓舞したりする、旗を持つ騎馬武者「使番(つかばん)」がいましたね。 平時には、他国との外交交渉にあたるなど、役割は多岐におよんだようです。 たしか、真田昌幸や服部正成(半蔵)が使番出身の武将だったと記憶しています。

George Cohta@GeorgeCohta

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