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こんにちは。英語帝国主義反対の立場を取る者です。人社系(特に自分の専門の歴史系)では発表言語が英語のみになってはならないと考え、折に触れて主張しています。何故なら、それは研究の質を下げるリスクがあるからです。世界的にも人社系の発表言語は多言語なのですが、それには必然性があります pic.twitter.com/SWSY2FUhsE
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(画像は私が2022年頃に作ったスライドです) なお、人社系だけではなく、理工系でも公衆衛生や環境学など、研究者の出身地域言語で出版することに意義があるとされる分野は少なくありません。また、英語を強いられることの不平等にも最近注目が集まっているようです journals.plos.org/plosbiology/ar…