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宗教は異なるけれど、神智学のジッドゥ・クリシュナムルティは、「人が考えたもの、創作物は、現実・真実とは違う、現実・真実は否定のしようがないが、人が考えたものは偽物で否定の余地がある、故に思想と思想の間で争いが起きる。誰かを信じるな、誰かの教えを信じるな、真実を追い求めろ(意訳)」

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植木雅俊@Mlz6YW6DOXK3w85

物事の理解には疑問・質問が不可欠。釈尊も質問する事を奨励していた。疑問を抱くなであれば、不疑曰信(疑わざるを信という)と言うべき。無疑曰信(疑い無きを信という)と明了曰解(明了なるを解という)がセットで、疑いが無く明了となる事を信解と言っている。拙著『日蓮の思想』34頁を参照。 x.com/ow58Di0olBZlPe…

aiwata55@aiwata55

みんなのコメント

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みたいなことを言っていたように思う。 釈迦は、入滅に際して阿難から今後どう修行すべきか尋ねられて、「法を拠り所として、自身を灯台とせよ(意訳)」と答えたとか。 人の考えを盲信するところに危うさが生じる。釈迦をはじめとした先人たちの智慧を参考に、自ら現実・真実、仏教で言う実相を

aiwata55@aiwata55

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