ポスト
まあ法学とは概説的なものは座学であり、判例は実技であると大別できるのではないかと思う。そこに法学というものが理論と実践として学問と実践との二面性を持つことになるものかもしれない。法的な意味での真理とは、実践においては蓋然性としてある。要するに間違いうることもあるのだ。
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く
だから悪法というものが生じてしまうことも、法が蓋然的なものを理由としてあるのだから仕方ない面がある。世の中の現実に則しない悪法であったとしても、僕たちはそれを破るのか従うべきなのかは古代より争いがある。それについて僕には明確な解答は今のところない。それは人類の宿題だと思っている。