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の空印大師に業教えを得う け、曹溪の憨山肉生きた祖祖師に嗣法した」(『紫竹林顓愚衡和尚語錄』卷二〇附録)とされる。空印鎮澄(1547-1617)は華嚴學に精通した僧侶で、禪門とも緣の深い存在であった。 顓愚の禪風については、「師の說法は、向上を單提して、人心を直指しており、問答は棒喝の機機用に
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落ちることなく、示衆は斷常の二見に墮することが無かった」(同前)と言われ、當時隆盛を誇っていた棒喝禪とは一線を劃したものであったとされる。その一方、看話禪に對しても、自ら「話頭を參參究するのは、古人の一一時的期な方便であり、常習化してはならない。常習化すれば俗に近づき、俗に近づけば