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山谷えり子議員(月刊「正論」7月号より) 「私は二〇〇三年の性同一性障害特例法を作ったときに参加した一人でしたが、今や現役の国会議員で残っているのは私だけになっています。
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あの法律は、身体違和がきつく、自ら手術を望む人が平穏に暮らせるようにと、手術後に戸籍の性別を変更できる趣旨から制定されたのであって、「身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者」(二条)が対象でした。
山谷えり子議員(月刊「正論」7月号より) 「私は二〇〇三年の性同一性障害特例法を作ったときに参加した一人でしたが、今や現役の国会議員で残っているのは私だけになっています。
メニューを開くあの法律は、身体違和がきつく、自ら手術を望む人が平穏に暮らせるようにと、手術後に戸籍の性別を変更できる趣旨から制定されたのであって、「身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者」(二条)が対象でした。