ポスト

昨日、南座で見た玉三郎さんの「阿古屋」。口上で玉三郎さんが自身の阿古屋は景清の行方を知らないという解釈で演じていると仰って、その前提で芝居を見たら、重忠が阿古屋を放免した理由は必ずしも彼女の奏でる音に乱れがなかっだということだけではないんじゃないかな、と。

メニューを開く

みんなのコメント

メニューを開く

愛しい景清との別れの悲しみ、世の無常、そして生まれてくる子どもへの愛情……が、その音から真実のものと感じとれたからなんやろうな、と。ただ、心に疾しいことなく完璧に弾いたからではないのだろうと、そう、思えた。

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ