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「現在の価値観で過去を裁くな」という毎日のように見る言説。 昔の人は環境的に善悪を認識することが難しかったのだからその点を酌量しろという趣旨ならまあわかるが、そうではなく、普通に「現在道徳的に許されないことも過去には許された」という意味で言う人が多くてびびる。…
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例えば「中絶を認めるかどうか」は現在でもイスラム圏や中南米などは禁止されていたりする。死生観や生命観の違いがあり意見は分かれます。欧米や日本では戦後段階的に認められてきたものですが、かといって中絶禁止だった昔を野蛮だったと非難するのは、正しいでしょうか。
内容によります。虐殺などは当時も非難されていたし、奴隷制についてはアンクルトムの小屋など北部から厳しく非難する人がいた。一方で、ポリコレや男女関係などに関わるものは話が違います。例えば喫煙や水着ポスターなどを今の価値観で非難するのは間違っていると思います。
いや、その価値判断ができないなら歴史を学ぶ資格がないという話ですよ。 びびるのは勝手だけど歴史とはそういうものであり、過去がそうであるように未来になれば今現在の価値観にもギャップが生じることでしょう。しかし未来人は「過去はそうだったんだ」という基準の元でしかそれは計れないのです。
今の価値観で 「道徳的」とされているものは ポリコレ 「政治的優位性」 です LGBTQの無理やりゴリ押しなど最たる例 本末転倒に 道徳的とはいえない女子トイレの削減という暴挙が繰り広げられている 今の価値観で過去の価値観が測られているというのは雑な見識で 「今の価値観」は専らポリコレから
いや、道徳も時代に依存する文化のひとつで絶対普遍ではないのだから「今の価値観で語るな」の範疇でしょ。そもそも「昔の人は善悪を認識できなかった」っていう考え方、「今の道徳」的にどうなんだろうなぁって思います。すっごく高いところから見下ろしてらっしゃるのねって。
「許された」は過去の事実では? 原住民を殺しても構わないと考える社会は存在したでしょう。 「許さなかった人もいた」も事実ですね。後者が優勢になり価値観が変容したのでしょう。 その当時のその社会の正しさを過去の事実として述べることと、その当時の価値観を捨てられないことは違うかと。