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ただ、この殿岡氏の見立てや当時の様子を再現した本ではあまり取り上げられていないのが、裁判の時の手話通訳。他のろう者の方々が調べたものによると、当時の東京教育大学(現在の筑波大学)附属ろう学校の萩原淺五郎校長が通訳として呼ばれ、そこで青年をちゃんと死刑にと訴えた話が伝わっている。
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これは裁判記録を見ると実際どうだったのか分かるはずなので、浜松の地域図書館に保存されていた警察資料の写しを私も入手していたはずですから、そういったもので再度、確認する必要。こういうことが裁判官の心証にも影響した可能性もありますね。