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メタ的な視点に立って、そうした美化作用さえ東ゆうの人間性の反映であるとして、つまりは信頼できない語り手として捉える読み方は確かに興味深いです。でもあの作品って、ところどころに三人称パート(西と南の会話)が挿入されてますよね。信頼できない語り手として読むと、矛盾すると思うんです。

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同じ理由で、ラストを東ゆうの幻想として捉える読みも成り立ちません。まあ、こうした矛盾を単なる作劇上の瑕疵として片付けることもできるけど、それをやりだしたら何でもありになっちゃいませんか? 批評のルールを逸脱しているというか……。

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