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《#菅江真澄の道 米田》 享和2(1802)年6月2日、前日に素波里渓谷を見た真澄は長場内を発ち、川向の米田村、逆巻村へと出て、萱沢では鬱蒼と茂る杉林のなかに「アオヤジロ」が際立っているのを見る。さらに室岱、真土と経て川を渡り、藤琴の加茂屋へ戻った。 米田では歌も残す。『しげき山本』 #藤里町 pic.twitter.com/SI3JK2YhUh
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米田の歌碑は、県道322号線の新米田橋から下根城の集落へ行く道の途中にあります(入口に案内板あり)。 真澄先生の歌は、春から初夏にかけての夕暮れ時の、穏やかな情景が伝わってきます。 参考文献 : 藤里の歴史散歩(北羽新報社 発行) pic.twitter.com/Q0pxWWYAfu