ポスト
「惑星的気取り」を、経験を「我々」や「世界」としてまるで万人共通のもの、誰もが同じときに朝を迎え、同じときに底冷えのする夜を迎えるかのような、「地球」といいながら平面であるかのように自明視することとして捉えてみると、「政治の外部としての平和」にはそのような自己中心的な思い上がり…
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く![](https://rts-pctr.c.yimg.jp/BgIFgYJGVIVv8u0nVJvw8B2FauAYMF4jOP5zFJAV4i5e72TLbER0xQeK1l8ZZ0OLKp3bO6UiOW8DAnfKV8TLxcsobWgHe51vPl0-CXyg6BLZUnH31n1TvF75SqvClYhxe0r6M4_FHnjB30lXEj6SOkZ68jPTG7n7sMu9ElmMsiGK6ZIpMYg73mXJimuBTsP4PQVjLYF9nAEbHEybvLBCpslWcJwvEB6OoitHLqokXmk=)
友か敵かという「政治」的なまなざしを忌避する向きの一端には、つまるところ友に囲まれた(わたしたちにとっての)平和な世界に敵が出現したこと、穏やかな日々がかき乱される、されそうであることに対し先制攻撃を加えたいという心づもりがある説。