ポスト

スターリングラードの悲劇は包囲後のパウルスのせいもあるんですよね。包囲網を解く突入作戦はパウルスがぐずったせいで失敗。個人的なヒトラーへの不審と憎悪が大多数の帰らぬ将兵を生んだ。彼の罪は重いですよ。 x.com/a_moretemasse/…

メニューを開く
タートラジン黄色4号おしんこ@a_moretemasse

1943年1月22日、スターリングラードで包囲されたドイツ第6軍へのソ連軍の最終攻囲戦が始まる。既に前年12月の救出作戦(冬の嵐作戦)も、脱出に消極的なパウルスのせいもあり失敗しており、物資投下と空中救出便も終了。マイナス35度の氷点下の中でドイツ第6軍は降伏か死を待つのみの状態となっていた。 pic.twitter.com/g6o6eHTXbf

タートラジン黄色4号おしんこ@a_moretemasse

みんなのコメント

メニューを開く

どうもRPの趣旨が伝わり難い方が居るので追記しますが、ヒトラーがそもそもの元凶なのは論を待ちません。ただパウルスには死守命令に反して撤退する選択肢もありました(恐らく更迭でしょうがワイマール軍人のプライドが許さなかったのでしょう)。降伏したのが🇺🇸なら良かった。 x.com/a_moretemasse/…

タートラジン黄色4号おしんこ@a_moretemasse

パウルス将軍の罪は明白だが、これはスターリングラードで劣勢に陥った際ヒトラーへの度重なる不信感から理由を付けて事実上脱出を拒否し、死守命令を無視して軍団を降伏させた事や、反ナチスへの転向云々ではなく、数多の自軍捕虜がソ連軍にどのような扱いを受けるかを思い至れなかった事が大である。 pic.twitter.com/nJIANhXg8m

タートラジン黄色4号おしんこ@a_moretemasse

メニューを開く

ふと気になったことがあるので長文失礼します ①パウルスはヒトラーから死守命令を受けていた ②包囲後、死守命令を貫き、ヒトラーへの個人的感情から一点突破を試みなかった(プライドもあった?) ③赤軍に降伏し大多数の帰らぬ将兵を生んだ ↑パウルスの罪は重い 要約するとこうなると思いますが(続

メニューを開く

包囲網突破作戦はパウルスではなくマンシュタインの作戦で(これはヒトラーから拒否される)ヒトラーはずっとパウルスに死守命令を出してましたよ。 挙げ句包囲中に元帥昇進させてたので、ヒトラーは死守を望んでました。

会話研究アカウント@xXROI5Zmxs56221

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ