ポスト
それでは養老孟司はポストモダン知識人か、ですが、例えばお弟子さんの布施英利さんは1991年の書評で「ところで『形を読 む』におけるそのような著者の仕事は、著者 の意識とは別に、ポスト・モダン的な時代環境の産物ともいえる。つまり「出るべきもの が出揃った」時代、
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「すべては、やられてしまった」時代だからこそ成しうる仕事なのだ。」と述べられています。当時からすでにそうと認められていたようです。挙げられている『唯脳論』ですが、構造主義以降の要素が散りばめられており、フーコーに至ってはわざわざ写真までついています。