ポスト

ボルトのような標準部品をきちんと作れる基礎工業力さえ、日本にはありませんでした。 標準部品や材料の規格化も、まったく不十分でした。 (・ω・) x.com/Satoruci3/stat…

メニューを開く
ガブちゃん@Satoruci3

返信先:@Booskachan_Ver2零戦作ってた親も言ってましたよ、空冷14気筒の同じはずのボルトが入らず無理に入れるとオイル漏れするような物 同じはずのボルトが一本一本違い、交換する場合一本一本すり合わせが必要だったと。

宇宙の父@Booskachan_Ver2

みんなのコメント

メニューを開く

陸軍の航空通信技術士官だった父によれば、同じ仕様で真空管作らせても工場ごとに性能がバラバラで、とりわけ大手と中小の技術差が酷かったそうです。

梶原醉象軒@Askeladd_Art

メニューを開く

父が電探(レーダー)を使ったことがある、と話していましたが(月光に搭乗時)ジジジ・・と音がする金属の棒で「全く役に立たないのですぐ使うのをやめた」そうです。※海軍の説明ではその音で敵機の位置が分かるんだとか

モーグヤマガタ(島田直樹ファンクラブ@Simizushi

メニューを開く

ボルト強度のばらつきとかもあったみたいですね。中島の新品製造のとこでそのレベルですから、前線の苦労はとんでもないレベルでしょうね。自動車エンジン整備とかが普通の職業で無い時代に

ガブちゃん@Satoruci3

メニューを開く

コレに尽きる気がする(職人技ガーとは別次元)。

Yoshimitu@yooshimitu

メニューを開く

90年代の架空戦記物はこの新兵器さえ量産してたら日本は勝ててたみたいなのばかりですた。中途半端に連載が終了した「アルキメデスの大戦」は主人公がネジ一本の精度を上げることから戦前の日本の工業力を底上げしようと奮闘する姿は新しかったでつ。

メニューを開く

司馬遼太郎さんによると、日本陸軍の戦車の砲身は工具で簡単に傷がつくような代物だったそうですね。

和田 圭三@benjamin0172

メニューを開く

僕の父親は技術者でした 北京に住んでいて 奉天の張作霖氏がドイツからもらった モーゼル銃の製造ラインの修理に行っていました 加藤健男氏が隼の修理に北京空港まで来られたそうです 敗戦後は中華民国のために残りました 後,共産党政府のために働く予定でしたが ワケあって引き揚げて来ました

メニューを開く

大日本帝国は100点のものを1個つくることはできましたが、戦争時に必要なのは80点のものを100個作る能力ですからね。

HIROHITO@蓮舫応援@PONICA2024

メニューを開く

航空日本と言われ、世界から航空技術が進んでいるとされた戦前の日本でさえそうだったとは……

俳句箱@HaikuChomei

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ