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1933年 昭和8年 稲垣欣弥 中木九一 1933年(昭和8年)舎弟三郎に煙火製造を伝承し、以来、硝石製造に専心したのである。その技術は高く他を圧し、稲金化学の名は三河一円の煙火製造業者の間に、流布していったのである。その間にも、煙火の研究だけはおこたらず、「紅緑金魚煙火」の製造に成功し、

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花火歴史家@ブログ@hanabi_history

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これを戦争後、中木九一に伝授したのである。中木九一は豊橋市の滝崎煙火及び稲金煙火にてその技をならい、岡崎市柱町に大同煙火を設立し、現在八十余才、製造業者の最長老として活躍している。「参考文献 : 三河煙火史, 三河煙火史編集委員会 編, 愛知県煙火組合, 1969年,101項」

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