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1919年8月21日 22歳の #宮沢賢治 の 親友保阪嘉内あて #手紙 より 私の父はちかごろ毎日申します。「きさまは世間のこの苦しい中で農林の学校を出ながら何のざまだ。何か考へろ。みんなのためになれ。錦絵なんかを折角ひねくりまわすとは不届千万。アメリカへ行かうのと考へるとは不見識の骨頂。

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ばばばんばん@bababa01234567

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きさまはとうとう人生の第一義を忘れて邪道に踏み入ったな。」  おゝ、邪道 O, JADO! O, JADO! 私は邪道を行く。見よこの邪見者のすがた。 学校でならったことはもう糞をくらへ。 アンデサイトアグロメートが何とされた。 うまいことを考へることは広告詐欺師へ任せる。

ばばばんばん@bababa01234567

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