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元中5年(1388年)、父・一色範光の死により家督を継ぎ、三河国・若狭国の守護に補任される。 明徳2年/元中9年(1391年)、山名氏清・満幸が幕府に対して挙兵した明徳の乱で幕府方に与して武功を挙げ、足利義満から悲願であった若狭国今富名(小浜を中心とした守護領の中核部分であったが、山名氏に奪
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われていた)を与えられた。更に尾張国知多郡・海東郡の分郡守護に任じられた。翌年には子の満範が丹後国の守護に補任された。 応永2年(1395年)、3代将軍足利義満(義詮の子)の出家に伴い剃髪し、信将(しんしょう)と号した。応永6年(1399年)に大内義弘が挙兵した応永の乱でも幕府方に属して武功