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永原慶二氏「後深草院女房の日記『とはずがたり』によると、その女房が一三〇二(乾元元)年厳島詣の帰路、海が荒れたため、先の船中で知った備後国和知郷の地頭代官和知氏の家に泊めてもらったが、主人が毎日男女の人々に呵責を加えるのにおどろき、程近い江田に住む和知氏の兄の家に移った。和知氏は
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和知氏は「年来の下人に逃げられ、兄がこれを取った」と怒り、兄弟喧嘩にまでなったが、たまたま下ってきた地頭広沢与三入道に救われたという事実がある。かりそめに宿泊した貴族の女房を、「下人」というのはまことに乱暴な話としかみえないが…… blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/20…