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身体とかイメージとか言っても、五感それぞれに身体がありイメージがあるもので、だから例えば舞踏家が〈舞踏模倣〉を超えると、音楽も美術も、その他もすべてが身体表現であることが観えてくる。逆に、観えないなら〈舞踏らしさ〉に留まっている証左となり、「身体」はヴィジョンにすぎなくなる。

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中島 智@nakashima001

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イメージも五感それぞれに生じているもので、例えば美術家が〈美術再生産〉を超えると、音楽も舞台も、詩歌も武術も、すべてがイメージ表現であることが解ってくる。解らないなら〈美術らしさ〉に留まったままということである。そういった「そこで手を繋げるトポス」への超脱というものがある。

中島 智@nakashima001

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