ポスト
79年前の今日。1945年6月23日,沖縄守備軍司令官の牛島満が司令部で自決。沖縄戦における組織的抵抗が終結した。写真は1935年に朝日新聞社のカメラマンが撮影した那覇の市場。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 pic.twitter.com/ENqbZqfKZn
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大本営は陸海空総力を上げて沖縄を守ろうと全力を尽くした。現地の牛島軍司令官、長参謀長、八原高級参謀は増援のない中、国民を守るべく手持ちの戦力で戦い抜いた。侵略に対し決して諦めることなく軍官民一丸となり戦ったことは日本国民として誇りであり感謝の念に堪えません。
この写真に写っている人々のうち、どれだけ沖縄戦を生き残れたかと考えてしまう 実際に平和の礎を見ていると一家と思われる同じ姓が並んでいたり、◯の妻、◯の子といった「名前のない名」まで刻まれている 一家全滅を免れても親兄弟親戚、国すら頼ることができない状況… そんなことを考えた慰霊の日
ポストにある通り、形としての組織的な戦闘の終結点であろう。だが混乱した戦場では、ここからさらに沖縄戦の悲劇的な事件が続くことになる。 沖縄がどんなに時間が経過しても、歴史をナラティブに書き換えようとする世界の潮流には決して流されない理由がここにある。
沖縄戦は、住民が多く住む地域での初めての戦闘でしたね。 色々な問題があって住民を巻き込んでしまい、結果多くの死傷者を出してしまいました。 数ある太平洋戦争の中でも、最も戦ってはいけない戦いでした。 沖縄戦のことを思うたびに森山良子のサトウキビ畑の歌が頭に浮かびます。 合掌…
着物の人ばかりで本当にこれは昭和10年の写真なのかと疑ってしまいましたが、ワンピースでワカメちゃんカットの女の子がいて「あ、ホントだ、昭和だった」と分かるという。沖縄は織物文化もあるし、風通しが良いので昭和になっても短着物(バサー)が主流だったのですね。
自決は失敗の責任を取る側面がある。 悲しい結末である。三島由紀夫が市ヶ谷で自決した時、何故だという思いが強かった。結論として思った事は、責任を取った行動ではなく、三島由紀夫の愛読書の「葉隠れ」を実行に移したと思った。