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「『金持ちとラザロ』(ルカの福音書16:19-31)の話で、英欽定訳やリビングバイブルなどは『金持ちは地獄(hell)で苦しみながら目を上げると』と訳してしまったため、この金持ちにはもはや救われる可能性がないという見解が広がった
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しかし原語ギリシャ語は『金持ちは、よみ(ハデス)で苦しみながら目を上げると』である。金持ちは地獄ではなく、よみの中の一区画「苦しみの場所」にいた。そこは永遠の場所ではなく、最終的な場所でもない。よみの死者の最終的行き先は、世の終わりの『最後の審判』と呼ばれる神の法廷で決められる」