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違いますよ。原爆はこの話とは無関係です。 1944年7月にマリアナ諸島を占領され、そこからB29による本土空襲が可能になった時点で、実質的に投了段階なんです。10月中旬までに降伏していれば、特攻もなかったし本土空襲も沖縄戦もなかった。大勢の日本兵が餓死せずに済んだ。x.com/pyutto/status/…

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鳩胸山@pyutto

返信先:@mas__yamazakiそれは原爆が落とされることを知っている今だから言えることで強者のやることは常に正しくただひたすら従っているのみでいるべきですか?

山崎 雅弘@mas__yamazaki

みんなのコメント

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「なぜ日本の戦争指導部は1941年までに日中戦争を収束できなかったか」「なぜ1944年のうちに降伏できなかったか」を合理的視点で検証すると、当時の「不合理な現実」に直面する。だから「仕方なかった」という結論であきらめる人が多い。でもそれだとまた同じことの繰り返しになる可能性が高いんです。

山崎 雅弘@mas__yamazaki

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サイパン占領、マリアナ沖海戦の海軍航空戦力の壊滅により自ら継戦の最低条件とした絶対国防圏が消えてしまったにも拘らず屁理屈をこね職業軍人が継戦を叫び続けた。国民と国土を無駄に消耗し続けた。

徘徊する老人@minatoshiotoru

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昭和19年の10月時点なら支那派遣軍も比島の部隊も健在なので、絶対に陸軍が講和を飲まないと思います。それこそクーデターで内乱状態になることが想像されますが、この時点で講和まで持っていける指導者は日本にいたのでしょうか?個人的には陛下のご聖断でも講和は不可だと思います。

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イタリアでは国民が蜂起してファシズム政権を倒し連合国に降伏した。そこが日本とは違うと彼らははっきり言います。

大津 百合人@012c7fd93f22448

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一年、いや半年早く降伏していれば、東京大空襲も原爆も沖縄戦もなかった、大勢の兵士市民が死なずに済んだのです、 どう考えても、降伏時期の判断ミスです

へのへのモヘンジョダロ@ZXcw5ec4IGEDvVC

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サイパン陥落時点で決断する機会があった。

未来への責任@miraiomosaku

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