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「聞く」というのは、いつもいつも言っているように「神の言葉」であり、「キリストの声」ただそれだけであって、それ以外のなにものでもありはしない。虚心坦懐に聞く――それもキリストの言葉を聞く――これが、「信仰」の始まりであるからである。 だからちょっとシツコイようだが、
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「宗教とは心の中にあるもの」――この言葉の中にたった今わたしの言ったような、「虚心坦懐にキリストの言葉を聞くことが…」という思いの少しでも込められているのならば、プーチンなる人間とは、ちょっと面白い輩である。が、そうでなければそうでないというだけの話でしなかなく、