ポスト

プチブル家庭で育ち、高等教育を受けたのに、その生活を捨て、労働者と一緒に工場で働きそれを書くことを選んだシモーヌ・ヴェイユみたいな生き方を、自分がしているのか、できるのかと考えれば、それが自然で当たり前な「友愛」や「善意」のようなものではないことはわかるだろうと思うのだが

メニューを開く

藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定@naoya_fujita

みんなのコメント

メニューを開く

タイトルにもなっている「MAD」なマックスが、妻子を奪われたことによるMADな報復心を捨て、助力者となり、権力も求めなくなったのか、という肝心の中核的な心情の変化すら意識してないなんてことは当然あり得ないことだし

藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定@naoya_fujita

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ