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だいたい、日本の神道、あるいはその萌芽的な神祗は、考古学的にみて、最も遡って、卑彌呼時代で、纏向遺跡からの出土物、定型化した古墳、箸墓、で、まあ、3世紀半ばから後半、卑彌呼死(247年)後のもの。宗像の沖ノ島祭祀遺構も4世紀末から。三輪山祭祀も磐座遺構が5世紀から。

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鬼塚健太郎@KentaroOnizuka

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で、この3世紀半ばから4世紀前半に倭の神祗の萌芽ができた、とすると、これは、中国側文献史料からは、臺與と臺與後の倭の男王(梁書)の時代で、記紀の記述からすれば、豊鍬入姫(臺與)と垂仁天皇(臺與後の倭王)の時代。で、おそらく、垂仁の娘の倭姫が伊勢斎宮を創建するのも、3世紀末だろう。

鬼塚健太郎@KentaroOnizuka

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