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更にいえば、伊藤若冲「白象群獣図」は、地である格子の細密さに比し、図の動物キャラを動植綵絵などと異なり‶ゆるかわ″としているのは、錦影絵(幻燈)の種板(ガラス画)に描きやすくしましたんやわというていであるからと推察する。

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古村猫海@NhpouUu2AgJaT0g

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1788年京都大火により焼け出された若冲は、罹災後しばらく大坂に滞在したと思われる。(佐藤康宏氏著『日本の美術256伊藤若冲』至文堂、1987年) 錦影絵を実見する機会もあったと考えられるが、「白象群獣図」の制作年が1772年–1787年頃であれば、白象群獣図に直接の影響は与えていないことになる。

古村猫海@NhpouUu2AgJaT0g

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