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最近日本の政局に関心が持てずに来たのは、ひとつには、世界が――とくに、アメリカはむろんとして、西ヨーロッパ諸国が――あまりにもおかしくなってしまったので、日本だけがどうなってもどうしようもない気がしていたから(ある意味では日本が先取りしていることもあるとは思うものの)。
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でも、これは逆だな、と思う。あたりまえではあるが。 自分・自分たちやその理念・政策を「代表」する存在が、投票先に、消極的選択でも「ない」と思われる(または「ない」という問題に無自覚になるようにさえされる)のは、近代民主主義の投票制度に一般的なアポリアに基づくことだろうが、しかし…