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理入とは経典によってその玄理を体得する。全てのものには同一の真性が備わっているが、それが妄想、迷いという外来の塵に覆われて顕れないと信じられる。 その妄想を捨て真に帰り、壁観に凝住すると、自他の区別なく、凡人も聖者も等しく一だとわかる。
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行入とは、四行。 この外の諸行は皆この行にはいる。 一、報怨行。二、随縁行。三、無所求行。四、称法行。 報怨行とは、道を歩む人は苦難にあった際には、過去無量劫より本より末を走っていた。世界を流浪し、他をして怨憎を抱かせた。今それが結実した。 天の業でない、人の加えるものではない。