ポスト

加賀藩の財政を支えたのは砺波、射水市平野の豊かなお米だし、高岡の鋳物技術は幕末、大砲も作った。つまり、越中には高い技術と資本の両方が備わっていた。 薩摩が中国と密貿易する為の昆布を北海道から薩摩へせっせと運んだのは北前船や薬売りさん達だし、大砲の原料である銅、スズも北前船が運んだ

メニューを開く

新湊物語〜北前船主 綿屋彦九郎〜@shinminatostory

みんなのコメント

メニューを開く

北海道へ渡りニシンを捕ったのも放生津から移り住んだ漁師さんが多いし、ニシンの油をとるために煮る大釜を作ったのも高岡鋳物師たち。そのニシン粕は米、綿の生産量を大きく向上させた。越中人は、環日本海の国防を背負い、日本の米の生産量アップに貢献し、薩摩の倒幕エネルギーの原資を生み出した。

新湊物語〜北前船主 綿屋彦九郎〜@shinminatostory

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ