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先行研究をきちんと押さえたうえで発言するわけではないのでアレだが、日本で水子供養が始まったのは1970年代頃と比較的新しい。この頃、霊能者がよく「水子の祟り」を持ち出していたが、この「水子の祟り」は「七つまでは神の内」という日本の伝統的な霊魂観と真っ向から衝突する。→

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親魏倭王(元学芸員:考古学)@yamato_ouken_02

みんなのコメント

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寛政5年(1793年)に松平定信が東京都墨田区の本所回向院に建てた境内の水子塚が発祥ですね。 1970年に京都化野念仏寺に水子地蔵が建立されてから、占い師などが水子の祟りを語って水子供養を売り物にしていったのです。

ホットサンド@FireOgma

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「七つまでは神の内」という表現は子どもの霊魂が不安定なことを表す。七五三の祝いがあるように、乳幼児の死亡率が高かった前近代においては、子どもの成長は一大事だった。おそらく、数え七歳を超えると一安心という風潮があったのだろう。それ以前に子どもが死亡した場合、葬儀を行わず→

親魏倭王(元学芸員:考古学)@yamato_ouken_02

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それ水呑百姓(7歳以下=労働力にならない無価値)の話で「日本全体」の話ではないですよ。江戸では、7歳以下(胎児含む)でも「家の相続人」なので供養の対象です。 例として、両国回向院の水子塚は寛永5年発祥。松平定信の発案。

橋本琴絵@HashimotoKotoe

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現代とは致死率が段違いとはいえ、親が子を思う気持ちは有ったでしょうから「供養」までは想像できますが、 「祟り」は致死率が下がって以降親の気持ちにつけ込んだものでしょうね

しろねこたいしょう@sironekotaishow

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どこかで明治以降、死産とか幼児死の届け出が厳密化されたとか、戒名をきちんと付けるようになったと読んだことあります。それ以前も、この世との境のものだからこそ、祟りとか怖れとか何やら関連でなにかあったのでは、という気もします。

mzwt@mzwt

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結構有名どころの寺院も水子地蔵を扱っていましたねえ(今もまだやっているかも)。 一部かも知れないけど、テレビのインタビューで、浄土真宗のお坊さんが「当宗派では、そのようなものは認めておりませんから」ときちんと言ったのは偉いなあと思った。

Mtodo fully pfizered! 酒のつまみに年中「おせち料理」を@Mtodo

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誰だったか忘れたけど水子供養は悪徳商法・脅迫商売って言ってたのを覚えてます 水子に限らずだけど祟りがあると脅して金を取る

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水子の供養の起源には、色々な地域伝承がある。古くは「日本霊異記」(平安時代初期)などにもあらわされているが、珍説もある。 1971年に新設建立された寺院(埼玉県秩父、地蔵寺)のキャンペーンが「水子供養」の言葉の浸透と全国的な信仰ブームを引き起こしたといわれる。 jf-aa.jp/column/column1…

rose history temple@rosehistory2022

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TVのワイドショーでは、同じ人が「先祖代々の墓は呪われる、個々に建てろ」とやってましたね。 「家は三軒建ててみないと思うようにならない」という建築士もいて、 高度成長期には現在のマナー詐欺コンサル詐欺みたいな人が一杯湧いたようです。

隠切大介@agritriz

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子どもが死んで悲しまない訳がないのでそれまでも供養はしてたと思うけど、祟りというのは商売として親の悲しい気持ちに込んだのかな。

Donatella@DetoxCo

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