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初代ヨドバシカメラ 新宿は淀橋にあったから 亡き父がフィルムを詰める用の 空パトローネをもらいに行くのに付き合ってた 本当に純粋に写真屋さんだった ただ今までのカメラ店と違ったのは デイスカウントという概念だった pic.twitter.com/pGQEgkKsM5
メニューを開く初代ヨドバシカメラ 新宿は淀橋にあったから 亡き父がフィルムを詰める用の 空パトローネをもらいに行くのに付き合ってた 本当に純粋に写真屋さんだった ただ今までのカメラ店と違ったのは デイスカウントという概念だった pic.twitter.com/pGQEgkKsM5
メニューを開く前身の淀橋写真商会時代から通称として「ヨドバシカメラ」を使っていたようですね。それがほぼ全国的に発展するとは思いもしなかったことでしょうか。ちなみにリパブリック讃歌を替え唄にしたあのヨドバシカメラの歌は、創業者・藤沢昭和氏自らの作詞だそうです。
1960年頃から父親が代々木でDPE専門の写真屋やってたので 材料買いに自転車でよく行っていました 淀橋浄水場が取り壊される前かな 東京オリンピックで やっと貧乏生活から抜け出せた 店は継がなかったけど 現像 プリントは自分でやるのが当たり前だったね