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水子供養は、脱胎、流産だけではなく、飢饉の時の『口減らし』で新生児の首を絞めたり濡れた紙を口鼻にかけて殺した江戸時代以降の供養の風習だと私は理解してましたが, , , 下北の恐山とか行くと、水子地蔵があって子供に供える風車とか回っていて、私はちょっと泣けます。
ちょっと昔調べてた時期あって、引用文献とかないんですけど。 江戸時代までは水子は「すいこ」と呼んで、極楽往生間違いなし存在だったわけです。理由はこの世で罪犯さず死んだわけですから、輪廻から脱出という理論ですね。 明治期にキリスト教が入ってきたのと、廃仏毀釈の影響から→続きます。
優生保護法で中絶が解禁されたのは昭和23年。戦後の水子供養の増加は、それによるものでは。 明治7年頃から昭和23年までは中絶は違法ですから、大正期の水子は、自然死が中心かも。 たしかコレラや天然痘も流行ってましたっけ。
島根県松江市にある洞窟『加賀の潜戸(くげど)』の旧潜戸は子供たちの魂が集まる賽の河原として有名です いつから言われてるかざっと調べても正確には分からなかったですが、縄文時代の伝承が残ってます pic.twitter.com/UMzuKNSc3w
供養というかそれを、商売(供養しないと祟る)のように流布してそれでなくても傷ついている女性から何がしかの金品を差し出させるような形が、平然と行われるようになったのが近年のことだと思います。 武家や裕福な商家ではもっと昔からあってもおかしくはないですが、もっと下の階級には無理では…
うちの子が生後3ヶ月で肺炎になり、当時90歳近かった医師曰く抗生物質が無い時代だったら確実に命を落としていたと。 彼が若かった頃は戦中戦後の栄養不足もあり乳児のうちに亡くなる子は沢山いたらしい。 そう考えるとそれこそ江戸時代などお産が母子共に命懸けだったことも容易に想像できる🥲