ポスト
『白い巨塔』についてまだ考えている。この映画で特徴的なのは、出てくる主要人物の多くが悪人で、そのまわりに小悪人がいて、まともな善人はごく一握り、という構図になっているところだ。そこがこの物語の過剰なフィクション性である(現実では大多数が悪人でもなければ善人でもない)。
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く![](https://rts-pctr.c.yimg.jp/BgIFgYJGVIVv8u0nVJvw8B2FauAYMF4jOP5zFJAV4i5e72TLbER0xQeK1l8ZZ0OLzK21x-sVLCtUdH0kjpalB6M3D8KHI3-Am_ePTM96ZjiX0teBGOL3Ir9pOwKhqD6VN-7Z3krUKTZmkIf3O_ozd29OsEtxRt7VVugr1gU-bll10WSKoXoFlV7zhkUZX953ZS4JlGHRlT6bUadRSUS1tQ==)
この映画に出てくる悪人たちは、いかにも悪人という顔をしている(主役の田宮二郎は、観客の誤解を生まないように、メークを極端に濃くして悪人性を強調している)。観客が人物を判断するのは「顔」なのだ。 pic.twitter.com/6O0NK9kh1p