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そもそも当時、砲術があまり評価されていなかったうえに、松方家は下級藩士の家柄であったので、社会的地位は実質的には高くはなかった。さて、松方家には跡継ぎの息子がいなかったため、七右衛門は養子をとることを考え、正恭の人物を見込んで、彼を迎えることにした。郷士の家系に生まれ、江戸時代の
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身分制では最低の階層であった商業に従事していた松田正恭は、かくして武士の身分を得、七右衛門が没した1818年、松方家の家督を相続し、名を改め、以来、“松方正恭”と名乗った。 松方正義の次男・正作の妻・繁子は三菱財閥の第2代総帥・岩崎弥之助の長女なので、松方家は三菱の創業者一族・岩崎家と