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多度の上げ馬神事って神前へ挨拶する事なので江戸時代は楠木坂(角度10度)から本宮か八王子社に挨拶してまた楠木周りに戻る事を三回繰り返すのが江戸時代にしてた事なのに巡礼しておらず明治以降出来た鳥居までしか行ってないのでご先祖挨拶させて貰えてないのかな🤔 #上げ馬 #上げ馬神事 pic.twitter.com/cjMbH5zUjl

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おおにしのりこ@ikousapyonpyon

みんなのコメント

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ここだけではなくこのような地図は文献と合わないことが多いです この地図も高低さから見るとかなりおかしいことに気づきます それに絵図を描いたと思われる所に神社を俯瞰して見れるような所はありません 適当な創造図の可能性が高い。 だから江戸期でも全然違う絵図になってしまう訳で信憑性が無い

FrenchiFrenchi@vnngoFrenchi

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明治大正以降の伊藤著書文庫ものにのみ上げ◯って用語出だしてるので最初に見た文献で意見違いも出たりだけど昭和以降宣伝の伝達行き違いか戊辰戦争時のいじめか段々「上げ」の意味が変えられ誇張され まるで絶壁って誇張されていったのは大社の方も仰られてて道はもっと長く緩やかだったとの事で

おおにしのりこ@ikousapyonpyon

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