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三島由紀夫が「太陽と鉄」において、複数の人と共に神輿を担ぐときに感じる一体化の高揚感について語っている箇所を不意に思い出しました。 無論、三島自身の自己身体に対する解像度はむしろ非常に高かったように見受けられますが、一方で躍動する筋肉の恍惚に同一化するため己を磨いていたのかと x.com/marebitoeditio…
メニューを開く褌資料を整理しながら、裸祭り(岡山の西大寺会陽)の絵葉書を見つける。私が褌に関心を持つのは、集団としての男性の振る舞い、その中での「個人としての見えなさ」が興味深いというか、怖くも感じられるからである。男性に接していて感じる「自身の身体に対する解像度の低さ」の正体とは何だろう。 pic.twitter.com/dtBkicIHsj
みんなのコメント
……さすがのおき先生やな。 ↓ のコスティン・ヴラド・アラマリウらが大好きな『太陽と鉄』を批判的に取り上げるとはw 先生はフランスの現状を憂いておられるが、その次にアメリカのネトウヨらにも牽制を入れる気でつぶやかれたに違いないwww x.com/costin_eats/st…
My book is live. Paperback only for now, Kindle should be up later today. My dissertation on Nietzsche, Plato, Pindar has been much distorted in mass media. I've added a long intro also, etc. I know "selective breeding" is unusual. No offense intended! amazon.com/dp/B0CJ3ZDHF6/
集団の中で半ばトランス状態になり、一体感を感じるのは、ヒンドゥーの祭りタイプーサムで経験しました。家族から一人カバディという神輿を担ぐ人をトランスにするため、香料や鉦叩きして盛り上げるのですが、本人ではなく妻の目が裏返ってしまいました。 pic.twitter.com/CJfRpEymal
知的エリートの道を歩みながらも、軍国主義の帝国主義の時代との軋轢の時代に、自らの「虚弱体質」「女々しさ」にコンプレックスがあったらしい。それで小さい身体を筋トレなどで鍛えることに美学を見出した。かわいそう、みじめというか。東大の極左との討論も「命がけ」なら尊敬すると。カルト
三島由紀夫は、70年頃に自衛隊のクーデターで大日本帝国の復活を実行しようとし、破綻し、自衛隊の宿舎か基地で割腹自殺した。オウム真理教と同じだという理解でした。カルト。が、東大出のキャリア官僚で文学者の経歴。時代が三島を翻弄し、軍国主義の社会では軍人の暴力が支配する