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この時は、ひとつの転換となったとみています。 道長はこれに味をしめて翌年、8月中宮が出産のため退出の同日に宇治遊覧し妨害。 これに先立つ6月、一条朝において、内裏が初の火災。 捜査の観点からは、旬政を潰した道長の関係者は、当然嫌疑がかかります。 これ以降、内裏は度々火災に見舞われます

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秋津の宮@敷島の大和の国の美しい自然、和歌、平安装束@Akitsuno_Miya

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そう思います。 道長は同じ手法を繰り返す特徴がありますね。 嫌がらせも、虐めのやり方もいつも同じ。 傲慢な、考え無しだからです。 行事をぶつける。 (火をつけて焼き払う)は、 想像だけで 証拠はないけれど その人目を恐れぬ残虐さ どうしても疑念をいだいてしまいます。 吉原幸子さんも→

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