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そう思います。 道長は同じ手法を繰り返す特徴がありますね。 嫌がらせも、虐めのやり方もいつも同じ。 傲慢な、考え無しだからです。 行事をぶつける。 (火をつけて焼き払う)は、 想像だけで 証拠はないけれど その人目を恐れぬ残虐さ どうしても疑念をいだいてしまいます。 吉原幸子さんも→

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みんなのコメント

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天下の実権を狙う道長の陰謀による放火だったか?とさ え思えるほどだ。」平凡社『吉原幸子 百人一首』より と、著書に書いています。 いつもあまりにもタイミングが良すぎて、 おかしいですものね。 強引なのは兼家の花山院を出家させたように 時の天皇さえ謀略で陥れる血があるくらいですから。

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落ちぶれる惨めさを知ってしまえばそうもなろう

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伊周またはその周辺に呪詛疑惑がたった時も、二回ともタイミングがすごく(道長にとって)いいですよね。いずれも呪詛の実行犯とされた人物が全く罪を問われないか、軽い処分で済まされていることも合わせて非常に怪しいです。

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