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日墨修好通商条約の締結の背景として挙げられるのが明治維新後間もない、1874年(明治6年)のメキシコ金星観測団による訪日で、しかも舞台は横浜だった。  1874年は太陽・金星・地球が一直線にならぶ天文学上重要な年でだった。→続く

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ハマぺんぎん@横浜と鹿嶋大好き@hamapengin

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当時の天文学では地球と太陽間の距離(1天文単位)が正確にわかっていなかった。そこで金星の太陽面通過を白昼各地で観測することによって天文単位を算定することができるというハレー理論に基づき、世界中から観測隊が日本を目指し不平等条約を結んだ列強諸国が日本に次々と観測所を設置する→続く

ハマぺんぎん@横浜と鹿嶋大好き@hamapengin

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