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デジコレで公開の『郡里町史』に収載「願勝寺歴代系譜」。314コマ目からの二十四代快念法師の箇所・二十五代快弁上人の箇所に「氏之」ではなく「持隆公」と何度も書かれています…。史料は文禄三年三月十日に快盤さんが書いたものとされている。画像は細川氏之のウィキペディアから。 #日本史 pic.twitter.com/1lvewmkGHe

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yoshisuke@smnkmaa

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ただ文禄三年の年代に疑義を呈する方もいるそうです。寛永元年より30年くらい早い。他にも阿波の平島公方家、細川家、湯浅家、櫛渕家の寛永頃の史料にはすべて「持隆」と書かれています。願勝寺の史料もすべて同時多発的に、持隆という架空の名が捏造されたというのは、無理があるのでは…?

yoshisuke@smnkmaa

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