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さみだれの雲間の軒のほととぎす雨にかはりて声の落ちくる 慈円。 西行の 郭公ふかき峰より出でにけり外山のすそに声の落ち来る と結句が同じですね。こちらは新古今集入集。
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雲間は晴れ間の意。 晴れ間なので五月雨の雨ではなく、代わりにほととぎすの声が落ちてくる、と詠む。 とても良いとか機知に富んでいるとかいう感じではないですが、 「声ぞ(が)落ちくる」でなく「声の落ちくる(ことよ……)」と余韻ある表現を選んだ点には納得。
さみだれの雲間の軒のほととぎす雨にかはりて声の落ちくる 慈円。 西行の 郭公ふかき峰より出でにけり外山のすそに声の落ち来る と結句が同じですね。こちらは新古今集入集。
メニューを開く雲間は晴れ間の意。 晴れ間なので五月雨の雨ではなく、代わりにほととぎすの声が落ちてくる、と詠む。 とても良いとか機知に富んでいるとかいう感じではないですが、 「声ぞ(が)落ちくる」でなく「声の落ちくる(ことよ……)」と余韻ある表現を選んだ点には納得。