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私は当時、川崎市の武蔵小杉の社宅に住んでいた。京浜工業地帯にも近く、大気汚染の影響は「小児ぜんそく」の発作となってあらわれた。半世紀以上前のことだが、夜中に息苦しくなり、ゼイゼイしながら壁にもたれて数時間を過ごした日々を思い出す。厳しい環境規制が始まり、大気汚染は好転していく。

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保坂展人@hosakanobuto

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当時の政府は、「公害は必要悪」として経済発展のためには耐え忍ぶべきだと放置してきた。その姿勢に大きな揺さぶりをかけたのが東京都の「公害対策」だった。企業操業に影響を与えても、都民の生命を守る政策は大きく支持された。そして、国も公害対策の立法を急ぎ、環境庁(現在の環境省)が発足

保坂展人@hosakanobuto

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