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「芸術家」が特別な意図と使命を帯びて表現作品を公開したなら、それは尊い芸術として尊重され理解されるべきだが、 作者の望む形で理解をしない「無教養な一般人」の、各々の理解による表現は軽んじ教育の敗北と見下してよい。 そんな感覚でフェミニズムや表現の自由を語る人がいることが残念すぎる。 pic.twitter.com/L2hiwRRFN5
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美術教育を受けていよういまいと変わらない、対等。 自らの表現で誰かを傷つけたのが明らかなら、その結果は自分のものと受け止める(表現をやめる必要はなし)。 表現の結果から目を背け開き直る無責任が常態化すれば、規制者に口実を与え「他人を傷つける表現は規制しよう」という動きが加速しかねない