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カトリック=「普遍教会」の庇護者たる「ローマ皇帝」は現在のドイツにあたる地域を統治しており、新教の勃興以後もドイツのローマ皇帝は一貫して旧教=「普遍」の側に立った。無論それはキリスト教という固有の宗教の枠内の「普遍」だったが、その「普遍」性は合理主義哲学の「普遍」性と並ぶ。
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「普遍」に対する「固有」としてのドイツという観念が強烈に現れてくるのはフランス革命とナポレオン戦争の衝撃によるところが大きいとされる。ユンガーも使う「原言語」が登場したのはまさにこの時代で、革命勢力は自前の政治体制を合理的形式と主張し「普遍」の名を恣にしたのだった。